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久能山東照宮博物館において『 徳 川 家 康 公 と 海 外 交 流 』展、3月10日(日)まで開催中です。 

 

久能山東照宮博物館の令和6年新春・企画展は『徳 川 家 康 公 と 海 外 交 流 』を開催いたします。

 

家康公が生きた16~17世紀は、ヨーロッパの列強がキリスト教の教線拡大と植民地を求めた「大航海時代」と呼ばれ、アジアへも進出してきました。

 

アジアにおいても豊臣政権時代の日本は、朝鮮半島への派兵を行いました。

 

慶長12年(1607)朝鮮の使節が日本を訪れ、家康公とも駿府で対面し、国交が回復しました。

アジア、ヨーロッパ諸国から多くの外国人が訪れ、貿易も盛んにし、それらの品々は駿府が繁栄するもととなりました。

 

今回の展覧会では、アジア、ヨーロッパ諸国の外国人から家康公への贈り物をの中から、遺愛品を中心に展観します。

 

初詣と共に400年前の家康公の遺愛品の数々をご覧ください。

 

 

 

 

《 展 覧 会 の 代 表 的 展 示 品 》

 

慶長16年(1611)スペイン国王から贈られた『 洋 時 計 』

慶長14年(1609)スペイン属領のフィリピン総督ドン・ロドリゴらがメキシコへの航海中に房総沖で遭難し、家康公がこれを救助し帰国の船を提供しました。

それに対する謝礼として、慶長16年(1611)にスペイン国王から贈られた時計で、ゼンマイ式時打ち時計としては国内現存最古の時計です。

 

コンパス片手に世界地図を見る。『金銀象嵌けひきばし』

家康公は地図や建築指図などを見ることが多かったと思われるが、この「けひきばし」は航海図上の距離を図るときに用いるコンパスのことで、

金銀の布目象嵌が施された豪華なもの。このけひきばしを持って航海図に見入る家康公の姿が彷彿とされる。

 

慶長14年(1609)オランダから贈られた『びいどろ薬壺』か?

家康公が自ら調合した薬を入れたガラス製の薬壺。「びいどろ」はポルトガル語のガラス「ヴィドロ」が語源。透明の角形壺と緑色の丸形壺で、

中の茶色の粉末は、円型壺の一つに「ちんぴ」と読める付箋があるので、胃腸の薬とされる「陳皮(ちんぴ」(みかんの皮を干したもの)の粉末と思われる。

 

芯の黒鉛はメキシコ産の『 鉛  筆 』

現存する日本最古の鉛筆。家康公の遺愛品でもと芭蕉蒔絵硯箱に入っていたもの。軸木は赤樫の張り合わ、芯は途中まであり、

メキシコ産の黒鉛であることが判明しているメキシコを属領としていたスペインとの関わりの中で家康公のもとに到来したものと思われる。

 

古眼鏡の代表的遺品『 目 器 』

家康公の遺愛品の中の無関節手持ち式の鼻眼鏡。枠はべっ甲製で、中国製あるいは長崎製といわれている。洋時計と共にスペインの使者が贈ったとも、

ポルトガルの神父が贈ったともいわれている。古眼鏡の代表的遺品である。

 

 

家康公着用の甲冑3領(金陀美具足、白檀塗具足、歯朶具足)、愛刀(サネツネ、ソハヤノツルギ)も同時展示。

 

 

若武者家康公が着た金ピカの甲冑『金陀美具足』 ㊧

永禄3年(1560)5月、今川義元が桶狭間で討死した時、19歳の家康公(当時は元康)前日に今川家の属将として近くの大高城の兵糧入れに成功している。

その時着用していた甲冑が金陀美具足との伝承がある。

 

金陀美具足の着替え用?『白檀塗具足』 ㊨

金陀美具足とほぼ同じ形同じ大きさの具足で、金陀美具足の替具足として作られたものと思われます。

金色の地に透き漆を塗ったものを白檀塗と称している。金陀美具足と共に、名将所用の当世具足として貴重です。

 

 歯朶具足(伊予札黒糸威胴丸具足) 岩井与左衛門作  桃山~江戸時代 16~17世紀 ㊥

家康公が関ヶ原の合戦で着用し、大阪の陣でも身近に置いたといわれています。大黒頭巾形の甲冑で革製の歯朶の前立が添っており歯朶具足と呼ばれます。

前立ては甲冑には取りつけることができない形態となっています。3代将軍・家光はこの甲冑を久能山から江戸城に運び、将軍家の武器筆頭に位置づけました。

4代将軍・家綱は写しを作り、歴代将軍は吉祥の鎧として、正月の具足の祝いで床に飾り尊んできました。

 

太刀 銘 真恒 (サネツネ) 刃長89.75 反3.8 平安時代 12世紀 

 2代将軍秀忠が元和3年(1617)12月の久能山東照社(後に東照宮に改称)の正遷宮に寄進した真恒作の太刀である。

岡山池田家伝来の名物大包平※の太刀と双璧をなす、大振りの古備前の名刀である。

作者の真恒は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した刀工で、遺作は少なく、この太刀によってその名をその名が知られることとなった。

 

太刀 無銘 光世 切付銘 妙純伝持/ソハヤノツルギウツスナリ 鎌倉時代・13世紀

家康公は逝去の前日にこの刀で罪人の試し斬りを命じ、自らの死後は剣威により長く子孫を鎮護すると述べたといわれています。

また社伝によれば、大阪の陣後も不穏な動きのある西国に鋒を向けて立てて安置するように遺言したそうです。

久能山東照宮第一の重宝として伝来した家康公の愛刀です。

 

久能山東照宮HP

展覧会展示リスト

 

静岡市 歴史めぐり まち噺し 

久能山東照宮①  #18 

久能山東照宮②  #19

久能山東照宮③ #20

久能山東照宮④ #119