観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ

3月23日(水)ウォークイベント「駿府ぶら歩き~駿府城と武家屋敷地を歩く~」を開催しました。

 

 3月23日(水)、駿府城ラン・アンド・リフレッシュステーション主催の「駿府ぶら歩き~駿府城と武家屋敷地を歩く~」が開催されました。来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」放映前に駿府城とそれを取り巻く武家屋敷地を巡り、徳川家康が作った駿府城と武家屋敷地の知識を得ていただき、ドラマを楽しくご覧いただくために駿府ウエイブのガイド5名がご案内しました。29名の参加者は中央体育館、ラン・アンド・リフレッシュステーションをスタートし、草深御門橋を渡り、三ノ丸堀周辺を東草深町から左回りに三加番稲荷→東草深・西草深武家屋敷町跡→三ノ丸西南櫓台跡→四足御門跡→駿府古絵図碑→大手門→三ノ丸東南角→北街道→横内御門跡→二ノ丸北御門→紅葉山庭園茶室と駿府城周辺の武家屋敷地をほぼ一周し駿府城に戻るウォークに出発しました。ご案内箇所の一部をご紹介いたします。

 

 

 

お集まりいただいたお客様順に注意事項等説明後順次スタートしました。

 

 

 草深門を出たところは「東草深町」。草深は、江戸時代は「上草深」、「下草深」に分けられていましたが、明治6年(1873)に西草深町、東草深町となりました。家康在城時は家康を守る旗本の屋敷町でしたが、家康が亡くなると旗本は江戸に戻され、屋敷の一部は与力同心の屋敷などに使われ、他は明屋敷となり明治になるまで農地になりました。

 

 

 

 寛永8年(1631)駿府城主徳川忠長が甲府に移された後、駿河は幕府の直轄領となり、駿府城は城代が管理する城となりました。城代の任務は駿府城を維持管理することにあったため、駿府城を守るため城の外に一加番(鷹匠)、二加番(西草深町)二つの加番が寛永9年(1632)置かれました。慶安4年(1651)由井正雪の乱が起きると、ここ東草深に三加番が増設されました。

 

 

 

西草深町元NHKの北側、二加番稲荷のはす向かいの家の隅に「夕顔巷(せきがんこう)」の石碑があります。西草深には家康の若きブレーン、儒学者・林羅山の屋敷がありました。羅山は家康に招かれて、慶長17年(1612)駿府に移り、四つ足門外草深に屋敷を賜りました。屋敷横の道は、彼の号「夕顔巷」にちなみ夕顔小路と呼ばれました。

 

 

 

駿府城三ノ丸 西角(現市立病院)の石垣に櫓台が残っています。お堀の水面の位置で幅25m程あり、台の上面の広さは約18m×10m。三ノ丸の石垣で、櫓台が残っているのは、ここだけです。

 

徳川家康は朝鮮で使われていた銅活字を参考に、林羅山に命じて、駿府城三ノ丸、現在の静岡地方検察庁辺りで、日本最初の銅活字の鋳造とそれを使用した書物、駿河版「大蔵一覧集」(11巻)を出版しました。11万個の活字が作られましたが火事などで失われ3万8千個が印刷博物館に現存しています。これは武器よりも言葉による統治を願った家康の宣言がこめられたものといわれています。家康は大坂落城後に刷り上がった本を手に取り、ご満悦で、次の出版、駿河版「群書治要」を指示しましたが、その完成を見ることなく他界しました。

 

現在建設中で、来年1月三ノ丸に開館する静岡市歴史博物館に日本で初めて駿府城三ノ丸で造られた駿河版「銅活字」のレプリカと駿河版「群書治要」(47巻)が展示される予定です。

 

「駿河版銅活字」、「駿河版群書治要」の詳細は印刷博物館のホームページをご参照ください。

「駿河版銅活字」はこちら。

「駿河版群書治要」はこちら。

 

 

 

静岡県庁・東館南側の大手門付近の石垣は、昭和50年(1975)の発掘調査の際、大手門の礎石6個が見つかり。その一つに「ひご かとう(肥後 加藤)」と刻まれており、加藤清正が工事したことが判りました。櫓門が建っていた部分のみ築城時の石垣が残っており、他は「亀甲積」という崩れにくい石積です。石垣の開口幅;12m(6間1尺)の大手門も、四つ足門と同様に、前面に高麗門はなく、櫓門だけで、道がクランク状に2度曲がる形式でした。

 

 


 

駿府城、三ノ丸の東北の角の堀は(静岡市文化会館東北側)は直角ではなく、斜めに面とりされています。東北の方向は、邪鬼が出入りする方角(鬼門)とされ、そこを凹ませることで邪鬼を防ぐという考えに基づいているといわれています。駿府城は三重の堀で囲まれ、現在でも本丸掘と二ノ丸堀をつなぐ「二ノ丸水路」、二ノ丸堀と外堀をつなぐ「三ノ丸水路」が残っています。外堀の水は横内川に注ぎ、巴川に合流して江尻湊までつながっていました。こうして堀の水は留まることなく流れ、きれいに保たれていました。外堀の水が横内川に流れ落ちる所は三ノ丸の東北角で「水落」と呼ばれ、駿府城の中で最も標高が低い所です(標高19m)。最も高い三ノ丸西側(現市立病院・標高25m)に比べ約6m低くなっています。

 

 

 

 

最終地は紅葉山庭園・茶室で庭園の説明、茶室「雲海」の名前の由来等茶処・静岡ならではのこだわりを聞き、本山抹茶「安倍の花」と菓名「桜花」の和菓子でティータイムをお楽しみいただき、花冷えの中のウォークでしたが約4.0km,2時間のウォークの疲れを癒していただきました。

 

参加された方からは、「久々のウォークで疲れましたが、お茶もいただけ楽しく過ごせました。また参加したい。」「生まれてから静岡に住んでいるが、歩いてガイドさんの説明を聞かないと知らないことだらけ。勉強になりました。」「東京から静岡に転居して20年になりますが、静岡の歴史についてはほとんど知らなかったが、入り口を知ることができこれからが楽しみです。」「家康がいた当時の古絵図のモニュメントのガイドをしていただいたが、ここにあることすら知らなかった」等々の感想をいただきました。