「土の城を極めた後北条氏の城」と題し日本城郭協会理事・加藤理文先生の講演を拝聴しました。

8月26日(月)、駿府ウエイブの会員を対象にした講演会を開催いたしました。今回は、本年が今川義元公生誕500年にあたり、駿河に君臨した今川氏を深く学ぶため、取り巻く周辺武将との関りを知るための講座として開催しました。戦国時代、東海の今川氏、甲斐の武田氏と関東の北条氏は、同時代に、甲相駿三国同盟(天文23年・1554)を結んだり、戦ったりもしました。小田原を拠点として関東に覇を唱えた北条氏の築城のポイントを織豊時代の城郭研究の大一人者でもある日本城郭協会理事・加藤理文先生のお話をお聞きしました。

北条氏の築城の最も特徴的な点は、織田氏、豊臣氏が多用した本格的な石垣づくりの城はは志向せず、関東ローム層(関東平野をおおっている火山灰層)という地質の特徴を十二分に知り尽くし、あくまでも土づくりを基本とした城を作り上げた点です。静岡県内においては、興国寺城、韮山城、山中城などがあげられますが、山の等高線などの地形を巧みに利用し、各曲輪を大規模な横堀と土塁で囲い込み、側面攻撃のため虎口と通路の一本化を図った虎口構造を強化しました。特に豊臣秀吉の関東襲来に備えた山中城は、東海道を取り囲む形で作られ、韮山城とともに、小田原城の最前線の城と位置付けられ、北条氏の築城術の全てを注ぎ込んで大改修された。天正18年(1590)改修途中で、小田原征伐に向かう豊臣軍7万人(諸説あり)をわずか3千人迎えることとなり、優れた防御機能も効果を現わすこともできず、半日で落城してしまいました。