洞慶院に咲く蓮の花

ハスの花 ひとことメモ

 グロテスクなレンコンを育てる泥水の上に、気高く清らかにして優美な花を咲かせる蓮の花には印象深いものがあります。

この花はアサガオのようなもので、早朝に咲きはじめてお昼ごろには花弁を閉じてしまいます。強い日差しを避けるという防衛機能なのでしょうか。多くの植物には意識があるかの如く、自然に適応するという優れたところをもっています。そのはずです。人間より、ずっとずっと長く生命を保っていて、約1億4千万年前から存在しているそうです。それに人間のように長寿を競わず、わずか4日間で命を全うしています。完結しているのです。誰も真似できませんね。

 

洞慶院の歴史

 静岡市の説明によると、「洞慶院は、はじめ馬鳴大明神の社僧寺として真言宗に属し、喜慶院と称されていたが、享徳元年(1452)守護福島伊賀守の懇請により、石叟円柱和尚が再建し、洞慶院と改め、曹洞宗とした」と記されています。

 福島伊賀守には子がなく、石上家の藤兵衛忠告が養子に入り関係が深まりました。『石上家系譜』によると、この石上家は由緒ある家で、今川範政公(今川範国を初代として四代目当主)の応永(1394~1428)頃、請われて藁科奥の笹間から服織に移り住んでいます。そこで建穂神社(建穂寺)馬鳴大明神の神主職を任されたと記されています。これが建穂寺と石上家との結びつきである。建穂寺も洞慶院もご本尊は千手観音菩薩です。洞慶院の千手観音菩薩は石上家が奉納しています。

 「馬鳴大明神の社僧寺として真言宗に属し」としていますが、この寺が建穂寺のことです。静岡市が記す喜慶院は、『石上家系譜』にも、現存する子孫も喜慶庵と称していますが、何れにしても、建穂寺の塔頭であったようです。洞慶院として再建されたころには、建穂寺に於ける馬鳴大明神の位置は最盛期を過ぎて、かげりがでていたと推測されます。そして、今に残る馬鳴大明神は、洞慶院の片隅にある祠に残るのみとなりました。神様にも浮き沈みはあるのですね。