観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ

12月2日(土) 静岡県教職員互助組合様主催「家康公の築いた駿府城下町を歩く」が開催されました。

令和5122() 晴天の中、静岡県教職員互助組合様主催「家康公が築いた駿府城下町を歩く」が開催されました。静岡県内からご参加の50名様を、駿府ウエイブガイド7名がご案内させて頂きました。

 

午前は教職員互助組合様創立70周年記念講演会、小和田哲男先生の「最後、どうなる家康!?」が開催され、拝聴後のウォークとなりました。講演会では家康公が駿府に城を築いた理由、駿府の町を守るため「薩摩土手」を築き、商人と職人の町駿府96ヶ町の町割りに関するお話しや、大河ドラマ「どうする家康」で、小和田哲男先生が時代考証をされた際の裏話などもお聴きする事が出来ました。

 

午後のウォークは静岡駅北口竹千代君像前を出発し、小梳神社、駿府城下町、駿府町奉行所跡、静岡由来の碑、駿府城公園を巡り、ゴールの静岡市歴史博物館まで約2時間の小和田哲夫先生の講演に沿ったコースを巡りました。

 

 

【小梳神社】

家康公が8歳の時「人質」として駿府に来た時、まずこちらで武運長久を祈願し、今川義元公の元へ向かったといわれています。

 

 

【紺屋町】

江戸時代初め染物師(紺屋)の町であったことに由来し、駿府代官屋敷や米蔵がありました。明治時代初めに駿府代官屋敷跡は徳川慶喜公の屋敷となりましたが、東海道線開通の際に慶喜公は西草深町へ移転し、明治24年に現在の浮月楼となりました。

 

この地に渋沢栄一が商法会所を創設した事、慶喜公の時代には現在の倍近い広さがあった事を説明すると、参加者の方から「浮月楼には入れますか?」「次は浮月楼に行ってみたい!」との声がありました。

 

【下桶屋町】

桶を作る職人が住んでいた所です。上桶屋町もあり両桶屋町の職人は、家康公が駿府城にいた頃、台所で使用する桶などを作る御用を務めていました。

 

【鍛冶町】

鍛冶職人が住んでいた所です。現在その名は残されていません。

 

 

 

 

【札之辻町】

札之辻町は駿府城の表玄関にあたる大手門の先にありました。ここに駿府町奉行所の高札場があったことに由来します。町名はなくなりましたが、札之辻址の碑が静岡伊勢丹正面玄関前に置かれています。2023年3月には伊勢丹七間町通り側に高札が復元されました。

 

【七間町】

駿府の豪商が七座の長として、この地に屋敷を置いて管理していた事が「七間(軒)町」の由来といわれています。

慶長19年(1614829日豊臣家に仕える大蔵卿局(淀君の乳母)が方広寺鐘銘事件の釈明の使者として駿府に来た際、家康公の居城である駿府城へ直接登城するのをはばかって、七間町の某邸宅に阿茶局を招いて方広寺鐘銘の陳謝をしたそうです。

 

【両替町】

慶長11年(1606)銀座が設けられ両替商が置かれたことに由来します。銀座は家康公が京都伏見から駿府に移し、その後江戸へ移されました。両替町が現在のような歓楽街に発展したのは明治以降のことです。

 

 

 

【呉服町】

家康公が呉服商人をこの地に居住させ、家康公や城中の呉服の御用を務めていたことから、この名がつけられたといわれています。江戸時代の呉服町は、東海道が通っており多くの人が行き交い、町には呉服屋や小間物屋が軒を連ね駿府の町の中心として、また東海道の宿場として豪商が軒を連ね、賑わいを見せていたようです。

 

写真のふしみやさんは、慶長12年(1607)に家康公と主従関係にあった初代 が京都伏見より駿府に移り住んだのが創業の始まりだそうです。

 

 

【駿府町奉行所跡

駿府町奉行所は2ヶ所ありました。現在静岡市役所があるこちらがそのうちの一つです。駿府の警衛や町政全般、宿場の管理等を行なっていました。駿府町奉行は無事任務を努めあげると、その後大坂町奉行や京都町奉行に抜擢される旗本のエリートの登竜門であったようです。

 

【静岡の由来碑

 明治2年(1869)廃藩置県を前に、駿府または府中といわれていた地名の改称が協議されていました。賤機山にちなみ「賤ヶ丘」と一旦は決まりましたが、藩学校頭取の向山黄村先生は、時世を思い土地柄を考えて静ヶ丘、即ち「静岡」がよいと提案され一決、同年620日「駿州府中静岡と唱え替えせしめられ候」と町触れが達せられ「静岡」が誕生しました。

こちらの碑は昭和54年(1979)に設置されました。

 

【駿府城公園】

 

 

【ニノ丸橋とニノ丸御門跡】

現在の二ノ丸橋は、昭和32年の静岡国体の際につくられたものです。元の橋は現在の橋から70m程西へ行った所にありました。

奥がニノ丸御門跡です。駿府城二ノ丸の正門で、枡形(ますがた)という敵がまっすぐ侵入できない構造になっていました。

 

 

天守台発掘調査現場】

日本一大きい駿府城天守台の様子を見学できます。慶長期と天正期の天守台や今川期の遺構の他、併設の発掘情報館きゃっしるでは、調査の情報をわかりやすく解説展示しています。

 

慶長期天守台の高さ(水面から19m)を説明すると、参加者の皆様一様に驚かれていました。

また発掘調査現場から富士山を見ることができ「良い天気でよかった!」と、皆様写真を撮られていました。

 

 

【ニノ丸水路】

本丸堀と二ノ丸堀を結ぶ水路で、本丸の水位を保つ役割等があります。4回折れ曲がり、水路両側だけでなく底にも石が敷いてある、大変珍しい構造です。こちらの石垣下方は、家康公築城当初の石垣と考えられ、家康公の威風を示す貴重な遺構といえます。

 

 

【東御門と巽櫓】

東御門は平成8年(1996)に復元されました。東御門橋・高麗門・櫓門・多聞櫓で構成される枡形門で、守備上大変強固な門でした。また平成元年(1989)に復元された巽櫓は、全国にある城の櫓建築でもほかに例の少ないL字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では防御に優れた櫓でした。両館内では、駿府城公園内より発掘された品や資料の展示を行なっています。

 

 

【駿府城代屋敷跡】

幕府は城主の代わりに城を管理する役人、城代を駿府に置きました。この辺り(静岡市歴史博物館、静岡市立城内中学校)は城代屋敷だった所です。またこの地には、少将井社という今川家の崇敬を集めた神社がありました。この神社は、本日のウォークで最初に立ち寄った小梳神社で、寛永8年(1631)までこちらにありました。

 

ゴールの静岡市歴史博物館では、「戦国時代末 期の道と武家屋敷の石垣」を見ることができます。博物館建設に伴う発掘調査で見つかったもので、家康公が天正期駿府城を築城した時代の遺構と考えられるそうです。

 

参加者の方から「小和田哲男先生の講演会後にウォークがあり良かったです」「講演会のテーマに沿ったウォークで質問もでき、大変勉強になりました。」「郷土史に大変興味があり参加しました。ガイドの話を聞きながら歩くと違った見方ができ又訪れたいと思いました」等の感想を頂きました。

 

 

皆様ありがとうございました。