日本遺産認定記念「弥次さん喜多さんと行く 駿河お笑い珍道中!?」駿府匠宿で開催されました。
駿府匠宿にて、日本遺産認定記念「弥次さん喜多さんと行く 駿河お笑い珍道中!?」展
開催されました。
『東海道中膝栗毛』の蒲原宿から藤枝宿までの抜粋を小学生にも読んでいただき興味を持っていただけるるよう
漢字にはルビを振り、判り易いパネルにしました。お父さん、お母さんと見に来てください。(観覧無料)
こちらをご覧いただければ『弥次喜多』を学ぶ第一関門通過かも・・・。
弥次さん喜多さんが主人公の『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九は、府中(現在の静岡市)の生まれといわれ、1802年に出版した滑稽本『東海道中膝栗毛』は 空前のベストセラーとなり、一九は日本で最初に文筆活動のみで自活することができた、今でいうベストセラー作家とされています。物語では、主人公の弥次郎兵衛は府中の、喜多八は江尻(清水区)の生まれとされています。作者も主人公も静岡市生まれという物語です。東海道53次の名所・旧跡、名物の食べ物などが描かれており、江戸時代の旅を記録する貴重な資料ともなっています。
東海道五十三次の宿場の内、静岡市には蒲原宿、由比宿、興津宿、江尻宿、府中宿、丸子宿、藤枝市には岡部宿、藤枝宿と8宿があり、宿場と宿場の間には、間宿、薩埵峠、宇津ノ谷峠、松並木、一里塚などもありました。街道と宿場は、参勤交代の侍、商人、町民など多くの人々が行き交いました。由比のさとう餅、江尻の追分羊羹、府中の安倍川餅、丸子のとろろ汁、藤枝の染飯など現在に続くグルメもありました。
滑稽本『東海道中膝栗毛』と浮世絵木版画『東海道五十三次』の相乗効果で、約200年前お伊勢参りなど日本初の空前の旅ブームが起きたといわれています。
あれぇ~? どこかで見かけた風景の中に「 弥 次 さ ん 喜 多 さん」がいる??
おぉっ~と!! 一九の『弥次喜多』と広重の浮世絵『東海道五十三次』のコラボだ!!
富士山の絶景ポイント「薩埵峠」。
大雨のため弥次さん 喜多さんは残念ながら見れなかったようです。
「丸子宿」といえば、今も昔も「とろろ汁」。
食べようと入ったお店で夫婦けんかが始まり
弥次さん 喜多さんは残念ながら食べられなかったようです。ここで一首
「けんくわする 夫婦は口を とがらして 鳶とろろに すべりこそすれ」
「膝栗毛」の中では、とろろ汁を食べれませんでしたが、「浮世絵」の中では美味しそうに食べています。
駿河路の難所「宇津ノ谷峠」。雨の中、名物の十団子の茶店近くで
弥次さんは坂道にすべってしまいます。ここで一首
「降りしきる 雨やあられの 十だんご ころげて腰を うつの山みち」
山道を越えたからでしょうか、着いた岡部宿でもう一首
「豆腐なる をかべの宿に つきてけれ あしに出来たる 豆をつぶして」
藤枝宿に近くなり一首
「街道の 松の木の間に 見えたるは これむらさきの 藤えだの宿」
瀬戸の立場でくちなしそめの名物・染飯を一首
「やきものゝ 名にあうせとの 名物は さてこそ米を そめつけにして」
※ 使用させていただいた4点の色紙は、由比の望嶽亭、故松永宝蔵氏が約30年前、趣味で描かれた作品です。
『弥次さん喜多さん』のパネル展観覧の後は、秋、真只中の駿府匠宿のある泉ケ谷、丸子宿周辺から、「弥次喜多気分」で少し足を延ばし、宇津ノ谷峠越え、蔦の細道公園、岡部宿、藤枝宿の小さな旅を楽しまれてはいかがですか?
11月8日(日)小さな秋を探しに出かけました。
駿府匠宿の先「千手観音堂」境内の紅葉の様子です。
宇津ノ谷峠藤枝市側の「蔦の細道公園」もボツボツ色付き始めていました。
岡部宿「大旅籠・柏屋」蔵の裏も色付き始めてました。
岡部宿から藤枝宿に向かう旧東海道沿いの松並木。道路拡幅の際、保存のため片側のみ拡幅したそうです。
8日(日)の紅葉はほんの一部でしたが、中旬から下旬、12月上旬にかけては、徐々に本格的な紅葉を迎えそうです。