「 駿府ぶらウォーク ~ 渋 沢 栄 一 の 足 跡 を た ど る ~ 」、6月26日(水)に開催されました。
6月26日(水)、駿府城ラン・アンド・リフレッシュステーション主催の
「駿府ぶらウォーク ~ 渋 沢 栄 一 の 足 跡 を た ど る ~ 」が開催されました。
7月3日(水)に発行される新紙幣1万円札の肖像に描かれている渋沢栄一は
生涯において500もの企業設立などにかかわり、“日本近代社会の創造者”と言われ、
明治維新の1年弱静岡において家族と共に暮らしていました。
お申込みいただいた11名のお客様を
渋沢栄一が暮らした静岡のゆかりの地を駿府ウエイブのガイド5名が、ご案内しました。
ラン・アンド・リフレッシュステーションをスタート。駿府城横内御門跡、鷹匠町、駿府代官所跡、
宝台院、教覚寺、別雷神社、川村屋跡、葵文庫、駿府城紅葉山庭園に戻るウォークに出発しました。
ご案内箇所の一部をご紹介いたします。
現在の北街道に面した横内御門は、駿府城三ノ丸の北東にある門で、駿府城の通用口として使われていた門です。
門前から直進する道は途中、東海道とクロスし東照宮のある久能山につながっていました。
駿府城三ノ丸堀の南東側の鷹匠町エリアは武家屋敷地の通称で鷹匠町は「駿国雑志」文化14年(1834)には
「御城代与力,同心の屋敷有て町家なし」とあります。
明治維新時、駿府の町への移住者は「御入国御人数町宿帳」慶応4年(1868)には2,134人とありますがこれは戸主の数で、
実際は家族を含め17千~20千人位と推定されます。
渋沢栄一がパリ万博の開催国フランスから帰国したのは明治元年(1868)11月3日、国元、江戸で所用を済ませた後、水戸昭武から駿府の慶喜公への直書を持ち、12月19日駿府に赴き、伝馬町の旅籠・油屋吉五郎方に宿泊しています。
駿府代官は駿府の町以外の駿河の幕府領を支配し、駿府に送られてきた御米蔵の管理、訴えの裁判も行っていました。
慶応4年(1868)5月駿河府中藩が発足し代官所は廃止されましたが、屋敷はそのまま残り藩に引き継がれました。
明治2年(1869)1月16日、渋沢が提案した「商法会所」は、ここ駿府代官所跡に発足しました。
「商法会所」とは、銀行と商社をミックスしたような組織で、渋沢は商法会所の頭取に就任しました。
フランス滞在中の見聞を活かし、新政府から駿府藩に貸付けられた53万両を運用し、利益を上げることを提案します。
8月「商法会所」は「常平倉」と名称変更し、その時帳簿を締めたところ、8ヶ月で85千円の利益を上げていました。
宝台院は徳川2代将軍秀忠の生母西郷の局の菩提寺です。明治維新後、15代将軍徳川慶喜が謹慎した寺院です。戊辰戦争が終わった明治2年(1869)9月28日謹慎が解かれ、10月5日に駿府代官所跡に移るまでの1年2ヶ月、宝台院の庫裡座敷で謹慎の日々を送りました。
「パリ万博」から帰国した渋沢は明治元年12月23日、慶喜公を訪ね、約2年ぶりに拝謁し帰朝の報告を行っています。
翌朝連絡があり藩庁に上り、「藩勘定組頭」の辞令を受けた渋沢は27日呉服町5丁目の川村方に移り、提案書をまとめ、明治2年1月1日駿河府中藩に商法会所の仕法書と、計算書を提出しました。これが商法会所のスタートでした。
渋沢は駿府に着いて9日目に伝馬町の旅籠・油屋吉五郎方を引き払い、呉服町5丁目の傘屋・川村屋に移りました。
謹慎が解かれた明治2年10月5日慶喜公は宝台院から駿府代官所跡に転居します。
それに伴い「常平倉」は駿府代官所から教覚寺に移され、それと共に、渋沢一家も教覚寺に移り客殿に住みました。
教覚寺を斡旋したのは、常平倉を実質運営していた駿府商人の筆頭格だった豪商・北村彦次郎でした。
北村は茶町1丁目の質商で、町頭を務め、緑茶の店を横浜に出店、駿府のお茶を世界に広めた人でもありました。
別雷神社の別当寺であった雷電寺に駿府96ヶ町の自治を取り扱う会所が置かれ、ここで駿府の町人たちの自治が行われていました。商法会所の運営を担当した駿府の商人たちのうち、北村彦次郎(茶町1丁目)、萩原四郎兵衛(土太夫町)、野崎彦左衛門(安倍町)は町頭を務めていたので、商法会所は駿府の自治組織と共同することになりました。
最終地は紅葉山庭園。本山抹茶「安倍の華」と菓名「雨音」の和菓子でティータイムをお楽しみいただき、約2km,2時間のウォークの疲れを癒していただきました。
参加された方からは、「静岡にいても知らないことばかりで大変おもしろかったです。」「ガイドさんの案内が、とてもわかりやすくて良かったです。」「歴史を紹介してくれるツアーに参加して静岡の歴史や魅力をもっと知っていきたいと思った。」「知らなかった渋沢栄一と静岡について、教えて頂き、とても楽しかった。静岡に増々ほこりを もてました。」等々の感想をいただきました。参加された方、ガイドの方お疲れさまでした。