東海道・丸子宿を散策し、とろろ汁の丁子屋前でのガイド&とろろ汁をご賞味いただきました。
3月5日(金)6日(土)の両日、静岡県教職員互助組合様の主催によるフィールドワーク「東海道・丸子宿を歩こう」のご案内のお手伝いをさせていただきました。
『日本初の「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅 ~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~』 が日本遺産に認定されことを記念しまして、3月5日(金)6日(土)の2 日間事前に申し込まれた浜松市から富士宮市間の58人の参加があり、ガイド12人で丸子宿と丁子屋前をガイドさせていただき、丁子屋の資料館では丁子屋14代の柴山広行氏のミニ講演、その後とろろ汁の会食を楽しんでいただきました。
「丸子宿」は東海道53次の宿場の中では比較的小さな宿場です。江戸・日本橋から20番目にあたり、東に安倍川、西に宇津ノ谷峠を控えて、 鎌倉時代の日本最初の歴史書と言われる「吾妻鏡」には文治5年(1189)、源頼朝が、奥州平定の功績により、手越平太家綱という駿河の武士に丸子一帯を与えて駅家を設けたのが起源と記されており、以来交通の要衝として重要視されていました。
松並木、一里塚、江戸方見付、丸子川の堤防、馬頭観音、屋号、脇本陣、問屋場、本陣、お七里役所等々の丸子宿の案内をさせていただき、創業慶長元年(1596)のとろろ汁の丁子屋前では、松尾芭蕉の句碑、十辺舎一九の句碑、歌川広重の浮世絵、茅葺屋根、高札場、細川幽斎の歌碑を説明させていただきました。
丁子屋歴史資料館では14代の柴山広行氏のお話しを拝聴しました。創業慶長元年(1596)以来丸子とともに歩んできた。創業当初は半農半商で始まり、レストランのみで成り立つようになったのは、50年前に先々代の12代が決断し、広重の丸子宿に描かれた茅葺屋根の建物を移築してからとのとのことです。東海道53次の宿場の経営者とのネットワークを組み、各宿場に残る先人の残した「日本の遺産」を次世代に送り届けたいと熱く語っていただきました。
お話しの後はお待ちかねの丸子・丁子屋の「とろろ汁」の会食です。参加された方々からは「丁子屋平吉さんのお話も感動的でした。もちろんとろろ汁は絶品でした。」「今年のように近場を説明してもらって歩くのもとても楽しかったです。」「実際に歩いて説明をおききしましたので、とてもよくわかり点 点の知識が線でつながった気がします。」「のんびりとボランティアの方の案内を聞きながら、ゆっくりとした時間がすぎていきました。パンフレットには掲載されていない問屋場、脇本陣、昔の表札などの説明を聞くことができ満足しています。また、丁子屋さんでは、当主の由来、広重の絵などの説明があり、充実した時間を過ごすことができました。」「身近だからこそ知らないことが多く、訪れたことのない場所で新しいことをしることができて大変よかったです。」等々の感想をお寄せいただきました。
昭和20年代の町並みの写真を示してのガイド風景
詠まれた「けんく丁子屋前にある「東海道中膝栗毛」の丸子宿ではする
夫婦は口をとがらして鳶とろヽにすべりこそすれ」の碑の前でのガイド風景。
天正18年(1590)豊臣秀吉の「小田原征伐」へ向かう途中、家臣の細川幽斎が丸子川を渡る時
詠んだ「人数には 誰をするかの まりこ川 けわたる波の 音はかりして」の歌碑があります。
先人の残した「日本の遺産」を次世代に送り届けたいと語る「丁子屋平吉」氏。
お待ちかねのとろろ汁の昼食です。「何年かぶりに頂きました。」の声もチラホラ。