藁科川左岸・羽鳥エリアをウォーク。幻の建穂寺仏像群特別見学とおかんじゃけ再発見しました。
令和5年10月22日㈰、企画ウォークを開催。
朝から雲一つない秋晴れ、里山散策には気持ち良いお天気の中、藁科保健福祉センターには小学生の親子連れ、羽鳥地区のグループ参加者、
飛び入り申込の方も現れたり、車いすの方もいらっしゃいました。44名もの参加者に集まっていただきありがとうございます。
8時30分、受付を済ませた方々からガイドのもとで人数を確認し、7つのグループに分かれて順次出発していきました。
川除地蔵と木枯の森
車通りの激しい道から川沿いの土手コースへ、歩を進めるごとに空気が変わっていきます。
土手下の草むらの中に小さなお地蔵様が祀られているのが見えてきます。
その昔、焼津の海で拾われた海蔵寺小川地蔵尊が、安倍川・藁科川等の流域で川の災害から守ってくれる地蔵として信仰されてきました。
羽鳥の地も、地蔵をお祀りし、水害から守ってもらうことを願ってきました。
対岸との間にある、こんもりとした木枯の森は、枕草子にも登場する古からの神聖な場所。
毎年9月に羽鳥八幡神社からご神体を神輿に載せて川を渡り、ご本家の木枯森八幡神社へと帰るお祭りが行われます。
夏は川遊びを楽しむ人もいますが、この季節ひっそりと森がたたずんでいる川景色がのどかです。
建穂神社
羽鳥(服織、はとり)の地名のもととなった機織りの一族秦氏が建立した建穂寺は、駿河の国屈指の古寺で、鎌倉時代、大応国師を輩出するなど栄え、
その後も今川氏、そして徳川家康に大切にされ、480石の朱印状を受けていたそうです。
また、家康は建穂寺の稚児舞を見て大変気に入って、現在の静岡浅間神社の廿日会祭でも伝承されています。
江戸時代には、21もの塔頭が並び建つ大きな寺院となった建穂寺は、桜の名所としても知られていました。
しかし、明治期には廃仏毀釈で縮小されていき、火災によりほとんど焼失してしまいました。
建穂神社本殿の花頭窓に、寺院の名残を感じるばかりです。
ここから20分、山道を登ると建穂寺の奥の院ともいうべき観音堂跡があって、現在も礎石が残っています。
おかんじゃけ作り見学
「おかんじゃけ」は、マダケの一節を叩いて細い繊維にし筆のような形状にした服織の郷土玩具。
女の子はこれを髪にみたてて櫛ですいて島田髷などを結って姉さん遊びをし、男の子は軍配のように振って戦ごっこなどした。
「洞慶院の縁日でおかんじゃけを買うと夏病をしない」と縁起物でもあったそうです。
今では、全国でも静岡の羽鳥にしかない、そして製作者は全国でただ一人という、
その松本先生にマダケを叩く工程から、筆状になった竹の繊維を染め付けるところまで一連の製作過程を見せていただきました。
実際は、叩く回数を記録したり、竹の繊維の白さを際立たせるため水に晒してアクを抜き、乾燥してから染色したりと手間も時間もかかるところ、
今回は時短で完成していただき、ウォーク参加者のお土産になるというご利益つきでした。
建穂寺観音堂
明治初期に建穂寺が火災で焼失した際、60体余りの仏像を地域の人々が林富寺に運び出し、散逸しないようにずっと守ってきました。
年に一度御開帳される千手観音菩薩、街道一と言われた一対の仁王像、平安時代、鎌倉時代の不動明王像などの仏像群は、現在では林富寺跡に再建された観音堂に納められています。
また、旧観音堂までの六町地蔵も観音堂の裏に集められて、地域の人々に大切に守られています。
観音堂の管理、仏像の修復、維持にはご苦労が多いと地域の方がお話ししてくださいました。
多くの人からの寄付と静岡市や文化財団の協力、クラウドファンディングで資金を集めるという地域の皆さんの苦労の末に、平成24年、25年に静岡市有形文化財に指定された仏像2体を修復できたということです。
ゴール!参加者の声
羽鳥~建穂~羽鳥とぐるりとまわって藁科保健福祉センターへ戻ってきました。4.6Km、2時間半から3時間と、
グループによってはウォークをじっくり楽しんだところもありました。
最後にアンケートを書いていただいて終了。
「近くの神社に古い歴史があるのが分かった」
「おかんじゃけって何だか気になっていたが、素朴なものが今も残っていることがいいですね」
「建穂寺から持ち出した仏像がこんなにたくさん残っていて、確かに昔は立派なお寺があったとわかるし、幻じゃない」
「土手沿いの道を歩くのが気持ちよかった」
みなさま、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。