観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ

11月13日(日)「 秋 の や じ き た ウ ォ - ク in 宇 津 ノ 谷 峠 」が開催されました。

 

平安時代の道「蔦の細道」、豊臣秀吉が作った「旧東海道」、「明治のトンネル」、「大正のトンネル」、「昭和のトンネル」、「平成のトンネル」の6つの道があり、いずれも現在でも通ることが出来る、道の博物館と言われる宇津ノ谷峠のコースを秋の半日、2時間30分弱でウォークしました。

天神屋、静岡二峠六宿街道観光協議会等の主催で、お弁当と健康チェックのおまけがついたコースでした。

 

 

道の駅宇津ノ谷峠の下りに集合し、108名の参加者に13人の駿府ウエイブ会員がご案内しました。

 

宇津ノ谷集落に入り、「立場」(たてば)江戸の時代、駕籠かきが杖を立て休憩したり、馬方が馬をつないで立て置いたことからついた名前、と呼ばれていたことや「間の宿」の由来をご案内。美しい景観を保つ建築の家並みの切妻屋根、平入の町屋、出桁造り、つし(厨子)造りの特徴を説明しました。屋号の看板、軒先に吊るされた厄除けの「十団子(とおだんご)」も目に留まります。

 

「お羽織屋」は秀吉が天正18年(1590)小田原の後北条征伐のため東海道を下った際に、こちらの石川家に吊るしてあった馬の沓が目に入り、取り換えようとしたところ、主人が三脚しか差し出さなかったため、秀吉が尋ねた。四は縁起が悪いので、戦に勝ってお帰りになる時に一脚は差し上げます、と主人が答えた。また近くに見える山と木を、勝山と勝の木でございますとも答え、秀吉を喜ばせた。そしてその年、戰に勝っての帰途、褒美として自分の着ていた陣羽織を与え、それを長年展示していました。残念ながら、石川ときさんが数年前に101歳でお亡くなりになり、その少し前から見学はできませんでした。

 

大正のトンネル

明治のトンネル

 

慶龍寺をご案内。お地蔵さんと食人鬼と十団子の話や、許六の句碑の紹介をして、県道へ。庚申塚、諏訪神社、丸子川起点を通り、大正トンネル前で折り返し、明治のトンネルへ。明治9年に完成し、明治天皇も2回通られたとか・・・。ここはコースの目玉の一つ、昼間でも薄暗い冷気の中のトンネルを抜け、一人で歩くと追いはぎにでも出会ってしまいそうな雰囲気です。静岡市と藤枝市の2市に分かれる管轄で、電灯の色形の相違を確認できました。明治の道を下り、羅径記碑(らけいきひ)のある坂下地蔵へ。延命地蔵尊の来年の令和5年8月の20年ぶりの御開帳のご案内をし、沖六鵬の書いた能化(のうけ)の額を見て、旧東海道を登ります。蔦の細道は、9月の台風の影響で通るのが困難な状況です。髭題目の碑を見て宇津ノ谷峠、標高170mを越え、下り、峠の地蔵堂跡に着きます。

 

峠の地蔵堂跡

歌舞伎の「蔦紅葉宇津谷峠」の舞台であることもご案内して、雁山の墓、ビュ―ポイントで景色を眺め、竹林、馬頭観音で集落に着きます。

 

竹林を抜けると宇津ノ谷の集落です。

上から見ると、宇津ノ谷の家並みの美しさを感じます。

 

宇津ノ谷の集落

 

静岡県都市景観優秀賞も受賞し、宇津ノ谷峠越えの道が国の史跡にもなっているコースを実感できたのではないかと思います。

道の駅に戻り、血管年齢、脳年齢、骨チェックや野菜摂取量がわかるベジチェック、ストレッチ&マッサージなどの健康チェックを体験し、美味しい弁当をいただきました。

参加された方からは、「何回も来たが、奥深い、色々な道があるのを知らなかった。」「雨に降られず、東海道の山道も歩くことができて良かった。」「十団子が思ったより小さくて、気が付かなかった。」「十団子は食べられるのですか?(→防腐剤が入っていて食べられないそうです。)」「健康チェックが、25歳と出て嬉しい」と50代の方が・・・。「思っていたよりも急な坂がありましたが、興味深い話しを聞くために、休憩を挟んでいたことによって、最後まであまり疲れずに歩けました。」「今日歩いていない道の方も歩いてみたいと思いました。」等々のご感想を頂きました。

道の駅では季節の野菜果物の販売もあり、お土産も購入し、身体も心も豊かになったコースでした。皆様お疲れ様でした。