5月8日(土)、ウォークイベント ・ あるある探検隊 ~ 渋 沢 栄 一 と 静 岡 ~ が開催されました。

5月8日(土)、駿府城公園ランドマーク共同事業体の主催による「あるある探検隊~ 渋 沢 栄 一 と 静 岡 ~」が開催されました。今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、明治元年12月から翌年10月まで静岡に滞在していました。今回のウォークは、大河ドラマで静岡での活躍が放映される前に、渋沢栄一と徳川慶喜の暮らした静岡ゆかりの地を中心に駿府ウエイブのガイドがご案内しました。

 

ウォーク開始前の注意事項等の確認です。

 

100名を超える応募の中から抽選により選ばれた42名の参加者は駿府城東御門・巽櫓前をスタートし、新装なった東御門橋を渡り、最初に昨年東海道の旅に関する200年前の物語「弥次さん喜多さん、駿州の旅」が、日本遺産に認定された巽櫓の二ノ丸堀を挟んだ場所にある「弥次喜多像」をご案内しました。

 

巽櫓、二ノ丸堀脇にある弥次喜多像前です。

 

弥次さん喜多さんが主人公の『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九は、府中(現在の静岡市)の生まれといわれ、1802年に出版した滑稽本『東海道中膝栗毛』は 空前のベストセラーとなり、一九は日本で最初に文筆活動のみで自活することができた、今でいうベストセラー作家です。

物語では、主人公の弥次郎兵衛は府中の、喜多八は江尻の生まれとされています。作者も主人公も静岡生まれという物語です。東海道53次の名所・旧跡、名物の食べ物などが描かれており、江戸時代の旅を記録する貴重な資料ともなっています。

 

Webミュージアム

東海道の旅に関する200年前の物語「弥次さん喜多さん、駿州の旅」

こちらからご覧いただけます。

 

 

「札之辻」にある駿府鳥瞰図の前で、江戸時代の東海道の道筋と高札場のガイドです。

 

七間町と呉服町の交差点・「札之辻」には、幕府が決めた法度や掟書を掲示した高札が掲げられていました。高札の文面には、周知徹底のために仮名交じり文が用いられ、掲示された法令に関しては「万民に周知の事」と言う理由で出版が許されたばかりでなく、文章は寺子屋の書き取りの教科書としても推奨されていました。

 

常磐町にある「教覚寺」家康公の家臣で、駿府城台所奉行も務めた松下常慶の屋敷を譲り受けて、現在の清水区からここに移転しました。それにちなんで、1945年までは町名を「常慶町」と呼ばれ、教覚寺境内地だけで一町内の珍しい町でした。明治維新後、渋沢栄一一家も一時住んでいました。

 

駿府九十六ヶ町町名碑の一つ「常慶町」と、渋沢栄一一家も一時住んいた「教覚寺」でのガイドです。

 

 

同じく常磐町の「宝台院」徳川2代将軍秀忠公の生母、西郷局の菩提寺で、家康公のゆかりの品も展示しています。明治維新後、15代将軍徳川慶喜が謹慎した寺でもあります。9,700坪の境内を持つ大伽藍でしたが1940年の静岡大火で焼失、現在の本堂は1970年の再建です。

 

「宝台院」は明治維新後、15代将軍徳川慶喜が謹慎した寺でもあります。

 

日本が初めて参加した海外での博覧会「パリ万国博覧会」の折、招待された15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武の随員として渋沢栄一は1867年1月から翌年11月まで、渡欧しており、庶務、会計係等の職務を果たしていました。

好奇心旺盛な渋沢は滞在中にチョンマゲを切り、服装は洋装に変え、議会、取引所、銀行、会社、工場、病院、上下水道などを見学しました。進んだヨーロッパ文明に驚くとともに、官と民が平等なだけでなく、民間が力を発揮する社会に衝撃を受け、人間平等主義にも感銘を受けたと言われています。

このヨーロッパ視察が渋沢の人生を大きく変えることになりましたが、徳川幕府の大政奉還、明治新政府の誕生のため予定を早め帰国し、ここ「宝台院」に慶喜を訪ねました。慶喜は内命を下して渋沢を駿府に留まらしめ、勘定組頭を命じました。

 

 

紺屋町の現在浮月楼のある「徳川慶喜屋敷跡」は、江戸時代は駿府代官屋敷があったところです。最後の将軍・徳川慶喜が宝台院での謹慎生活の後の明治2年から20年を過ごした屋敷跡です。

 

 

慶喜が宝台院で謹慎生活を送っていた約10か月ほど、静岡藩の勘定組頭格を務めていた渋沢栄一が発案した藩の商事機関「商法会所」が設けられ、渋沢は頭取格に就任しました。

「商法会所」とは、日本初の株式会社で銀行と商社をミックスした組織で、14歳から家業の農業、養蚕、藍玉の原料の藍の葉の仕入れを任され、商売のいろはを学ぶとともに、「パリ万国博覧会」で渡欧した折に見聞した欧州各国の経済事情などの視察が役立ったたと思われます。

 

渋沢栄一の生誕の地・深谷市渋沢栄一デジタルミュージアムはこちらからご覧いただけます。

 

 

 伝馬町の「西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地」は、1868年江戸に向かって進軍中駿府に留まっていた東征軍参謀の西郷吉之助(隆盛)のもとを、旧幕臣山岡鉄太郎(鉄舟)が訪れ、ここ伝馬町で両者が会見し、徳川慶喜公の助命や、江戸城明け渡しなどが合意され、江戸城無血開城へ導いた歴史的会見の地です。

西郷隆盛が当初示した示した条件は、1) 慶喜の身柄を備前藩に預けること。 2) 江戸城を明け渡すこと。3) 幕府軍艦をすべて引き渡すこと。 4) 武器をすべて引き渡すこと。 5) 城内の家臣は向島に移って謹慎すること。の5項目でした。

 

 

鉄舟は慶喜を備前藩に預けるという一条だけに反発し、「島津公が朝敵の汚名を受けたら、西郷先生はそれを甘受できるのか」と反論。西郷も山岡の忠節心に理解を示し自分の一存で取り計らうと約束し、結果慶喜は備前藩には預けられることなく、駿府に入ることとなった訳です。

 

コースの途中、駿府九十六ヶ町の町名碑、札之辻町、両替町、下石町、常慶町、下魚町、紺屋町等々のガイドをさせていただきました。

 

静清信用金庫100周年スペシャルサイト「駿府九十六ヶ町大調査!」はこちらからご覧いただけます。

 

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一と徳川慶喜の今後の動きの先取りガイドとなりましたが、約2時間のウォークガイドは楽しく、事故もなく終了しました。ご参加いただいた皆様お疲れさまでした。