9月26日(木)「旧 東 海 道」ウォーク&新紙幣を印刷している「国 立 印 刷 工 場」を見学しました。
令和6年9月26日(木)、旧東海道を歩き、新紙幣を印刷している国立印刷局静岡工場の見学会を開催しました。
静岡鉄道・静岡清水線 長沼駅に集合された、事前に申込みを頂いた37名の方々は受付を済ませ6つのグループに分かれ旧東海道ウォークと20年ぶりに新紙幣を印刷している国立印刷局静岡工場に向け出発しました。
新静岡から新清水までの静鉄電車は旧東海道とほぼ並行して走っています。長沼駅の改札口から10mほどで、そこは江戸と京都を結んだ家康公が整備した旧東海道です。慶長5年(1600)関ケ原の戦いで勝利した家康公は、翌年東海道を始めとする中山道、日光街道などの街道の整備に着手します。各宿場に伝馬の常備を義務付け、宿場を整備し、一里塚の設置や松並木を設けるなどの街道の整備を進めました。
長沼一里塚 (日本橋から数えて44番目の一里塚です。)
徳川幕府は、慶長9年(1604)、一里毎に一里塚を設置するよう指令を出しました。設置は10年ほどで完了し、一里塚には榎などの木を植え、木陰で旅人が休息を取れるように配慮しました。東は草薙(清水銀行草薙支店)、西は本通8丁目と10丁目の間(今川時代の東海道)にあります。
兎餅発祥の地 (兎餅の発祥の地は古庄。現在は松木屋西脇店で販売しています。)
兎餅は、漉し餡が透けるほど薄い餅皮に包まれた大福餅で 中央に満月の焼印が押されていました。
「耳長ふ 聞き伝え来し 兎餅 月もよいから あがれ名物 」と江戸時代の文化・文政期の狂歌師、大田蜀山人(1749-1823)の歌にも詠まれた東海道名物。かつて安倍川餅(弥勒)、追分羊羹(元追分)とともに駿河3大名物といわれ1964年頃迄この古庄の地で商われていました。モチーフの満月の焼き印は今も引き継がれています。
旧東海道記念碑 (平成3年(1991)5月 静岡中央ロータリークラブにより設置されました。)
東海道は昔このあたりを通り 西は古庄へ 東は国吉田へと通じておりました。 これは古来より主要街道の一つであり 府中(静岡)生まれの十返舎一九 が書いた東海道中膝栗毛 の中で 弥次郎兵衛 喜多八が 滑稽な旅をしたことでも 知られております。
国道一号線(静清国道)が整備されたことから交通量も減り 旧東海道 と呼ばれるようになりましたが 、昭和37年(1962) 国鉄操車場 の建設により 栗原の西側が分断され 更に静清土地区画整理事業による 新らしいまちづくりが行われたことから 栗原地内の旧東海道もその姿を消すことになりました。その昔を偲び なおかつ旧東海道と 共に発展してきました「栗原」の歴史を正しく後世に伝えたい との願いを込めて この記念碑を建設することにいたしました。尚 この記念碑の みかげ石 は 静岡市追手町にありました静岡御用邸に使われていた由緒あるもので 昭和初年の 御用邸改修の折 栗原町内会が払下げを受けたものであります。
新紙幣を印刷している「国立印刷局静岡工 場」の見学です。
国立印刷局静岡工場は、第2次世界大戦により軍票等の製造が必要となったことから、昭和18年(1943)に設置され、戦後は日本銀行券を印刷しています。事前に見学の申請をしたメンバーが印刷工場を見学しました。敷地入口で身分証明書で本人確認後、誘導されてビジタールームに入りました。
参加者の緊張をほぐすように、ユーモアたっぷりの係員による印刷工場概要や役割などの説明を聞いた後、印刷の様子を窓越しに見学しました。高速で印刷される機械の様子に驚き、 人間の目で印刷の状態を確認していることもこの時代では珍しく思えましたが、やはり人間による点検が大事だとのことです。その後、紙幣偽造防止の工夫が分かる展示室で見学しました。3Dホノグラム、すかし、コピーできない超極小文字などの展示は実際に体感できるように工夫されていました。
また、1億円の重さを体験できるコーナーもありました。最後にグッズ売り場にも立ち寄り、お札のタオルやハンカチ、刻んだ紙幣が入ったシャープペンなどが販売されていました。