5月11日(水)ウォークイベント 「あるある探検隊!!今川氏編 臨済寺へ行く」 が開催されました。
5月11日(水)、駿府城公園ランドマーク共同事業体主催の「あるある探検隊~今川氏編 臨済寺へ行く~」が開催されました。来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」放映前に、徳川家康が竹千代時代(8歳~19歳)を過ごした駿府の今川家の最盛期の知識を得ていただき、ドラマを楽しくご覧いただくために駿府ウエイブのガイド4名がご案内しました。14名の参加者は駿府城・坤櫓をスタートし二ノ丸橋、四つ足門跡、報土寺、静岡浅間神社、天沢寺(冨春院)、臨済寺までのウォークを楽しみました。ご案内箇所の一部をご紹介いたします。
報 土 寺 大永2年(1522)開創当初、京都から来ていた公家で歌人の、歌聖藤原定家の直系冷泉家第七代の当主冷泉為和が、度々報土寺で歌会を催していた記録が残っています。当時の荒廃した京都を逃れて駿府に流寓した公家殿上人はかなりの数にのぼっており、為和は天文18年(1548)没するまで駿府に居りました。
弘治2年(1556)駿府に来た権大納言山科言継も報土寺に参拝したことが「言継郷記」に詳しく記されています。
「言継郷記」には半年間の駿府滞在時の日記も含まれており、当時の駿府の様子が伺えます。
静 岡 浅 間 神 社 駿河国総社として古くから信仰を集めてきた静岡浅間神社。今川氏の初代範国が駿府に進出したとき、最初に参拝した寺社です。巫女のお告げを受け今川氏の「赤鳥」の笠験が誕生して以来、歴代当主から厚い庇護を受けてきました。
現在の社殿は、江戸時代後期の文化元年(1804)から60年の歳月をかけて再建されたものです。総漆塗り極彩色の社殿群のいたるところに立川流の見事な彫刻が施されており、26棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
天 沢 寺 (富春院) 桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、岡部五郎兵衛元信は、鳴海城を守って、徹底交戦を続けました。信長は義元公の遺骸を渡すことを条件に、明け渡しを交渉し、岡部元信はそれを受け入れ、義元公の遺骸を貰い受けて、鳴海城から撤退しました。
途中、豊川市の大聖寺に義元公の胴体を埋葬し、駿府へは首だけを持ち帰りました。 義元公の菩提寺として天沢寺が創られた。墓地の一角に、近年建てられた「今川義元公慰霊塔」(石造十三重塔)があります。
臨 済 寺 今川氏の軍師として著名な太原雪斎が今川義元の兄で8代目当主氏輝の菩提寺として建立した寺です。今川家墓所のほか、義元や雪斎の木像など今川氏ゆかりの品々が数多く残されています。
臨済寺庭園は、天正年間(16世紀後半)以後の伽藍再建の際に整備されたと伝えられ、江戸時代には「府(駿府)辺第一の風景也」と謳われました。このほか、臨済寺本堂、鉄山釜(県指定文化財)などがあります。修行寺ですので、普段は本堂など建物内に入ることはできません。今回は特別に拝観が許されました。
江戸時代前期の建立で駿河の勅願寺であったことを示す「勅東海最初禅林」の額が掲げられています。本堂内部を雲水の方にご案内いただきました。
大書院内部の「竹千代御手習いの間」の前での雲水の方にご案内いただきました。
座禅堂内部を雲水の方にご案内いただきました。
参加された方からは、「静岡市内に色々な旧跡があることが分かった。今まで知らないことが沢山あった。また来てみたい。」「ガイドの説明がわかり安くて良かったです。」「混んでいる日でなく、のんびりじっくり見学出来て大変ありがたく思いました。」「何気なく歩いている場所のいわれや詳しい事柄が聞けて勉強になりました。」「静岡に住んでいて、知らないことを知りとても楽しい。またいろいろと勉強したい気持ちになりました。」「説明も丁寧にしていただきとても勉強になりました。」等々の感想をいただきました。参加された方、ガイドの方お疲れさまでした。