大名行列、朝鮮通信使、さらには商人、伊勢参りの人々も歩いた『東海道・府中宿』を散策しました。
家康公が関ケ原の戦いに勝利した翌年1601年に制定した東海道と、駿府城築城時に(1607年~)整備した「駿府九十六ヶ町」を巡りました。
2月23日(木・富士山の日)、晴天に恵まれた日に「東海道・府中宿を歩こう」が行われました。76人のお客様に、ガイド12人、スタッフ7人が対応し、8時30分から順次スタートしました。
ガイドコースは東見附⇒下横田町⇒猿屋町⇒院内町⇒上横田町⇒鋳物師町⇒台所町⇒花陽院門前町⇒八幡小路町⇒上下伝馬町⇒新谷町⇒江川町⇒呉服町⇒札ノ辻町⇒七間町⇒人宿町⇒新通り⇒新通川越町⇒安倍川町⇒西見附⇒薩摩土手跡⇒川会所跡⇒安倍川義夫碑⇒安倍川橋の約4.0kmの家康公が整備した東海道・府中宿のコースで行いました。
府中宿の東の入口「東見附」付近。 幕府が道中奉行に命じ文化3年(1806)に完成した東海道分間延絵図の案内。
家康公は、関ヶ原の戦いに勝利した翌年の慶長6年(1601)に江戸と京・大阪を結ぶ東海道を整備し、慶長12年(1607)大御所として駿府に入り、駿府の城と城下町づくりに着手しました。 城下町には、東海道が貫き外周には寺院が配置され、職人、商人等の町人により構成されていました。
江戸時代、東海道は、江戸と京・大阪を結ぶ街道で、将軍や公家、役人、参勤交代の大名行列、朝鮮通信使さらには商人、伊勢参り等社寺参詣の人々が行きかうメインストリートでした。
各宿場町は上り下りの旅人で賑わい地域の中心的役割を担い、特色ある文化を生み出しました。
鍋・釜の日用品や軍需品を造った鋳物師集団が住んでいた鋳物師町の案内。 往来する旅人で賑わった江戸時代の駿府の繁華街・伝馬町を歩きます。
城と町づくりのため、京都伏見等から大工、鍛冶屋、車屋、左官等の技術集団も呼び寄せられました。町づくりは慶長14年(1609)頃には、ほぼ完成したといわれ「駿府九十六ヶ町」が成立しました。
府中宿は江戸から19番目の宿です東の江尻宿へ2里25町(11km)西の丸子宿へ1里16町(5.7km)あり、東見附~西見附は28町(3.0km)ありました。東海道の中でも大きな宿場でした。
天明元年(1781)創業の竹茗堂。江戸時代は七間町で営業していました。
幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書いた、高札があった札之辻町。3月にレプリカが設置されます。
東見附であった下横田町からガイドが始まり鋳物師町~上下伝馬町~江川町~呉服町通りでは天明元年(1781)創業の竹茗堂では、お茶のお土産を頂きました。
札ノ辻町~七間町~人宿町~新通りでは宝暦3年(1753)創業のわさび漬の田尻屋では、わさび漬けのお土産を頂きました。新通川越町~石部屋~安倍川橋と府中宿を堪能しました。
文化元年(1804)創業の安倍川餅の石部屋では、安倍川餅を希望したお客様は、舌鼓を打ち楽しんでいました。
宝暦3年(1753)創業のわさび漬けの田尻屋。 文化元年(1804)創業の安倍川餅の石部屋。
参加いただいた方々からは「人宿町・新通りは始めて歩きました。」「 今日は天気も良く、寒さもなく、頭も、身体も刺激され気持ちい一日でした。」「初めて参加しました。お土産もいただき、丁寧に説明していただき勉強になりました。」「今回で5回目の参加です。コロナで開催されない間いつかいつかと待っていました。」「 駿府ウエイブの久しぶりのウォークで楽しみにして参加しました。」「静岡には、江戸時代6か所に宿場があったから、ほかの宿場のウォークも計画してほしい。」
事故もなく、曇り空の下、風もなく、心地よい気分でウォークを楽しむことができました。お疲れさまでした。