観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ

【企画ウォーク】駿府御囲堤(さつま土手)を辿る晩秋ウォーク、11月23日(土)開催しました。

2024年11月23日秋晴れの中、薩摩土手之碑付近に集合し

「駿府御囲堤(さつま土手)を辿る晩秋ウォーク」を開催しました。

 


今回のウォークは31名の参加者が集まりました。事前に2名のキャンセルがありましたが、

参加率100%を達成し、参加者は5班に分かれ約2時間半の歴史探訪を楽しみました。

 

 

 

 

 


行 程

 

 

 

1)薩摩土手の碑・六部尊の祠

ハイライト: 安倍川の特徴や家康公の城下町づくりの秘密。「薩摩土手」と名付けられた背景を紹介!

土手の築造に薩摩藩は関わっていたのか?を『駿河国新風土記』を引用して紐解きました。

         

  

 

江戸時代以前の駿府の町の姿は、はっきりとわかっていませんが、当時の記録や発掘調査から、今川時代や天正期には

今川館やその後に造られた駿府城の周辺に町が営まれていたことが確認されています。特に今川時代に造られた堤防が

「土手通り」と呼ばれていた説もあるそうです。

 

 

 

2)井宮水門

発見: 駿府御囲堤の隠された水門の謎に迫りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

駿府御囲堤についてはこちらをご覧ください。

【企画ウォーク】「 今も生きている 駿府用水を巡るウォーク 」

 

 

 

3)一番水門➝川除地蔵尊

チェックポイント: 横断歩道を渡った先に待っていた川除地蔵尊

 

 

 

 

 

 

 

 

4)水道町の水神社

探索: 土手に上がって川除け地蔵や水神社の分布図を見てみました。

①六部尊、②川除地蔵尊、③水神社(柳町)、④川除け延命地蔵尊、⑤水神社(弥勒)

①六部尊                ②川除地蔵尊

 

 

 

 

③水神社(柳町)         ④川除け延命地蔵尊

 

 

⑤水神社(弥勒)

 

 

5)湯浅堤頌徳碑

英雄譚: 安倍川の大水害と治水事業、大正3年の洪水で湯浅県知事が果たした偉業を紹介。

県知事湯浅倉平が使った「原案執行権発動」の背景をうかがいました。

 

 

大正3年の水害と湯浅知事の大英断

 

大正3年の水害: 1914年8月29日から30日にかけて、静岡県で大規模な水害が発生、甚大な被害をもたらし、

安倍川の堤防(外堤・内堤)が崩壊し、多くの地域が被災しました。

 

湯浅倉平知事の対応 :当時の静岡県知事であった湯浅倉平は、小森静岡市長、田沢安倍郡長と共に被災地を視察し、

堤防の抜本的な改修を決意し、県議会に復旧予算案を提出しましたが、多くの修正・削減を受けました。

 

「原案執行権発動」:湯浅知事は県議会の決議を認めず、総理大臣兼内務大臣の大隈重信に説明し、

「原案執行権発動」が認められ、これにより、約10kmにわたる大堤防が築造されました。

 

市民の感謝と堤防の名称: この大英断により、堤防は「湯浅堤」と呼ばれるようになり、湯浅知事の功績を称える

頌徳碑も建てられたと説明があり、参加者のみなさんは碑石の文字を一生懸命読まれていました。

 

 

 

6)安西外堤跡(柳町)

リフレッシュ: 水分補給して、川除地蔵や水神社(白髭神社)を訪れました。

 

 

 

 

 

 

 

7)安西五丁目地蔵堂

再スタート: 橋の下をくぐり、再び安西土手に登りました。

 

 

 

 

8)安西土手

歴史の足跡: 安西井宮堤と安西郷、堤防は外側の堤と内側の堤の2堤がありました。

外側の「安倍川外堤(あべかわがいてい)」、内側の「安倍川内堤(あべかわないてい)」の痕跡を探してみました。

 

 

 

江戸時代、安倍川東岸の堤防は「安倍川堤」や「安西堤」などと呼ばれていたそうです。

堤防は外側の堤と内側の堤の2つがあり、「安倍川外堤」と「安倍川内堤」に区別されていました。

また、安倍川は流域のすべてが静岡市内という珍しい川で、一級河川をほぼ静岡市だけでささえている

という他にはない場所だそうです。流路の長さは約50kmと、高い山から駿河湾へと急速に流れ込む

高低差約2,000mの急こう配に視察にきた方から「これは川ではなく、滝だ」と言われたそうです。

 

 

9)西部生涯学習センター

休憩タイム: トイレ休憩と水分補給をしっかりと

 

 

10)さつま通り

「さつま通り」の名前の由来と提案者とは?

1964年(昭和39年)、静岡市立三番町小学校(一番町小学校三番町小学校(当時)が統合)

の郷土研究部の部員たちの提案でした。

 

 

 

 

11)安西外堤跡(南田町)

クライマックス: 外堤の痕跡を見つけて、現在の堤防へ。

安倍川花火大会の由来とそこに込められた想いにふれました。

 

 

 

 

ゴール地点: 弥勒水神社(アンケート回収後解散)

 

 

 

たくさん歩いたあとはやっぱり甘いものですね!

今回は日曜限定営業の「かごや」さんに特別に作っていただいた安倍川もちをいただきました。

 

 

 

現在では、堤防の築造を薩摩藩によるものとする説には歴史的な確証がないとの見解が主流です。

『駿河国新風土記』でも島津家が築いたとする伝説を紹介するのみで、実際に誰がいつ築いたのかは

不明とされています。駿府の町とその堤防の歴史は、まだまだ多くの謎に包まれていますね。

今回辿ったさつま土手は綺麗に整備され、途中にある地蔵尊も神社も大切に守られている場所でした。

地元の方の熱意も熱く、noteというメディアプラットフォームでさつま土手に関する記事を書いている方、

土手の由来を熱く語られる方と近所の方からの愛情を感じることができました。

 

参加された方からも

「静岡市の様子が良く分かりました。」

「薩摩土手のことは全く知らなかったのですが、知ることができました。」

「7月の「御用水ウォーク」が面白かったので今回参加しました。薩摩土手の意味と土手を巡るウォークは今迄知らないことが多くためになりました。天気も良く、ガイドの皆さんも良く、安倍川餅もおいしかったです。」

「天候にも恵まれ、晩秋の楽しいウォーキング+歴史を見つけられました。」

「静岡の歴史に触れられ良かったです。」

とお言葉をいただきました。

 

 

参加者の皆さま、ウォークを楽しんでいただきありがとうございました。

スタッフおよびガイドのみなさま、お疲れさまでした。