令和7年11月29日(土)『昭和100年ウォーク・懐かしい昭和の街は今?』を開催しました。
昭和の面影も残る静岡の街を散策しました。
令和7年(2025)は昭和元年(1926)から100年になります。過ぎ去った100年を懐かしみ、静岡駅前、百貨店、交通機関、公園などの静岡の街の写真も見ながら、思い出を語り合いながら静岡駅チカを出発、静岡市歴史博物館をゴールに約3.5kmのコース巡りました。風もなく、天候にも恵まれ、参加者49名、駿府ウエイブガイド8名がご案内しました。ご案内箇所の一部をご紹介します。


静岡駅は昭和10年(1935)に三代目駅舎完成、昭和54年(1979)静岡駅高架化完成。2年後に駅ビルパルシェが完成しました。昭和27年には、呉服町商店街入口に富士山ネオンが完成。昭和39年(1964)東京オリンピックの年に東海道新幹線が開業。
昭和4年(1929)静岡鉄道・静岡市内線が静岡駅前~現セノバ~中町~安西までの2.0㎞の路面電車が開通。開業の目的は安西~鷹匠~相生町(現新清水)~波止場で、お茶の輸送を計画。昭和30年(1955)頃の運賃は、静岡駅前~安西間は10円、鷹匠~相生町間は40円。昭和37年(1962年)9月に閉鎖しました。
昭和7年(1932)地下1階、地上6階の松坂屋本館が完成。県内初の百貨店・松坂屋静岡店が開店。昭和15年(1940)の静岡大火、昭和20年(1945)の静岡空襲で消失したが、昭和32年(1957)新館オープン、昭和46年(1971)グランドオープン。

江川町交差点を渡ります。静岡駅から続く「御幸通り」は昭和5年(1930)、昭和天皇の行幸に際し開通しました。

昭和15年(1940)静岡大火及び昭和20年(1945)静岡大空襲を経て、火災延焼防止の為に、呉服町通り約600mに面した3街区に2階~4階建ての鉄筋コンクリート造りの防火帯が建設。昭和33年(1958)に完成しました。
青葉緑地は、昭和15年(1940)の静岡大火後、防火帯として築造され、昭和63年(1988)~平成3年(1991)に中央部に公園を有する現在の形に再整備されました。市道青葉通り線の中央分離帯を幅18m、長さ520mの緑地帯とし、市民の憩いの場として、イベント会場としても利用されています。

映画の町・七間町に懐かしい上映パネルを見つけました。「これ観たことある!映画館で見ることできるんですね。」「映画観たあとこの辺のレストランでチョコレートパフェ食べたわ。」と笑顔がほころんでました。
昭和26年(1951)初代オリオン座が開館。「ベンハー」「ウエストサイドストーリー」「アラビアのロレンス」など映画の最盛期、洋画をこちらで初めて観た方も多かったようです。昭和46年(1971) 静岡松竹劇場があった場所にオリオン座が移転、2代目オリオン座が開館。平成23年(2011)にオリオン座が閉館、その後解体されました。

お店は閉店しましたが、懐かしい「ういんな」の看板見っけ。

こちら七間町の明治。煉瓦蔵をブッティクにリノベーション。
矢澤漆器店の倉庫として明治時代に建築された煉瓦造りの蔵が、静岡大空襲、昭和20年(1945)空襲によりほとんどの建物が焼けてしまった中、焼けずに残った建築物。現在はブティックとして残っています。赤レンガが七間町の街並みにアクセントを加え特徴ある景観となっています。


古写真をお見せし、「あの頃はこんな風でした。」
昭和28年(1953)、市民が注目する中、地球ネオンが七間町のシンボルとして完成しました。絵になる光景が市民を喜ばせましたが、老朽化した地球ネオンは惜しまれながら昭和42年(1967)に取り壊されました。

昭和6年(1931)完成の静岡銀行(旧静岡三十五銀行)。
昭和18年(1943)に静岡三十五銀行と遠州銀行が合併、静岡銀行設立。平成10年(1998)に登録有形文化財(建造物)に登録。平成23年(2011)に景観重要建造物第3号に指定されました。
静岡赤十字前にある楠。昭和20年(1945)6月20日の静岡空襲で市街地が爆撃を受ける中、クスノキも焼け焦げました。しかし2~3年後に新芽が芽吹き、復興に向かう人々と同様にクスノキも復活し、市民から愛される巨木へと。令和4年(2022)挿し木で育てた苗を市立竜南小学校に植樹、元気に育っています。
静岡市役所本館は昭和9年(1934)完成し、その後昭和61年(1986)完成の新館に市役所機能が移転。本館は昭和15年(1940)静岡大火や昭和20年(1945)静岡大空襲にも耐えた歴史的建造物。本館は平成8年(昭和71年)登録有形文化財に、平成23年(2011)に景観重要建造物第4号に指定されました。
静岡県庁は明治4年(1871)廃藩置県によって静岡県誕生時(当初は浜松県、静岡県、足柄県に分かれていました)に、旧城代屋敷を庁舎として使用したのが始まり。明治22年(1889)に現在の県庁本館の位置に移転し、その後数回の移転を経て昭和12年(1937)に現庁舎は建て替え。現在の県庁本館は、昭和9年(1934)の懸賞設計に基づいて建設され、帝冠様式と言われるコンクリート造りのビルに瓦屋根をのせた、和洋折衷で建てられた。平成13年(2001)に登録有形文化財に指定されました。
駿府会館は昭和32年(1957)第12回国民体育大会のメイン体育館として丹下健三設計が設計。もとは体育館だったが、ステージ、観客席があり多目的ホールとして利用された。プロレスの聖地、コンサート会場、体育館として利用されていた。昭和53年(1978)耐震基準に課題があり閉鎖となりました。

およそ2時間ほどのまち歩きののち、静岡市歴史博物館におきまして「昭和100年ウォーク・昭和の静岡」をテーマに博物館の学芸員、鈴木将典氏のミニ講演会を開催いたしました。「駿府城下町として発展した静岡市は、江戸時代から大正時代は駿河の国で最大の都市で、国鉄の開業、駿府の外港・清水港からはお茶などが国内外に運ばれました。昭和時代に入ると静岡鉄道の路面電車の開通、静清国道の整備、御幸町通・昭和通、本通拡幅、開通と将来の都市基盤の整備が急ピッチで行われました。1940年の静岡大火、1945年の静岡大空襲の被災の後、戦後の復興と高度成長時代は、戦前の指物、漆器の技術を生かした家具産業、プラモデルなどの地場産業と製茶業の農業、加工業、商業、輸出業が地域産業として拡大していきました。中心市街地及び郊外にも大型商業施設も開業していきました。近年は歴史や伝統を活かした観光で人が集まる街としてイベント、街づくりが進んでいます。博物館3階には昭和30年代の静岡市中心部のジオラマが展示してありますので是非ご覧ください。」
静岡の街の写真も見ながら、思い出を語り合いながらの昭和100年ウォーク&講演会でした。お生まれになってから静岡に住まわれている参加者の皆さんも多く、ガイドがお教えを受ける場面も度々。ガイド、参加者の垣根を超えて双方向に思い出を語り合う和気藹藹としたまち歩きとなりました。
参加された方々からは、
○「とても判り易い説明でした。地元ですが知らないことも多く、とても興味深かったです。」
○「ガイドさんの説明が判り易く写真を見ながら今と昔が比較出来て楽しかった。時折参加者に質問されたりして、ただ聞くだけのウォークでなかったのも良かったです。どこから来た人かや、歩くスピードなど参加者への心配りも大変すばらしかったです。」
○「初めて参加しました。懐かしい話や地元に住んでいても知らなかったことがたくさんあり楽しかったです。」
○「今日はありがとうございました。昭和のにおいを満喫させていただきました。昭和がよみがえってきて懐かしく感じました。」等々のお声を頂きました。
参加者の皆さん、講師、ガイドの皆さんお疲れさまでした。ありがとうございました。
次回は令和8年2月15日(日)「駿府ウエイブがガイドする 谷津山ハイキング」です。申込は1月13日(火)午前10時から開始します。チラシはこちら。
