観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ

令和7年11月9日(日)『 十返舎一九ゆかりの町 駿府九十六ヶ町を歩こう &講演会 』を開催しました。

令和7年11月9日(日)、弥勒緑地をスタート地点に「十返舎一九ゆかりの町 駿府九十六ヶ町を歩こう!&講演会」が開催されました。

参加者31名が4つのチームに分かれ、約3.3kmのコースを2時間半かけて散策しました。

 

徳川家康が大御所として暮らした駿府城の城下町は、全国から人夫や職人が集めて築かれました。

畿内や近江、美濃など10ヶ国から人夫が召集され、京都・伏見からは大工や鍛冶、左官などの技術者が呼び寄せられ、壮大な町づくりが進められたのです。

城下町は大きく三つのエリアに分かれていました。

 

◇武家屋敷地:町の約45%を占め、武士の暮らしの場

◇寺社地:約15%を占め、有事には城と町を守る「外郭」としての役割

◇町人地:約40%を占め、大手門南側に広がる碁盤割の町並み。商人や職人の活気に満ちていました

 

慶長14年(1609)頃には町づくりが完成し、「駿府九十六ヶ町」と呼ばれる城下町が誕生しました。

町名には「〇〇丁目」や「上・下」といった呼び方があり、今も残る町名や区割りに当時の面影を見ることができます。

 

今回のウォークでは、駿府九十六ヶ町のうち、十返舎一九にゆかりのある場所を主に訪ねました。

 

コース紹介

弥勒緑地 →由井正雪墓址碑 → 川会所跡 → 薩摩土手跡 → 西見附(東海道) → 新通川越町 → 安倍川町(二丁町) → 本通川越町 → 新通り → 梅屋町 → 人宿町 → 七間町 → 別雷神社 → 下石町 → 矢澤煉瓦蔵 → 明泉寺 → 上石町 → 十返舎一九生家跡 → 不去来庵 → 駿府銀座跡 → 両替町 → 高札場モニュメント → 札ノ辻町 → 呉服町 → 駿府町奉行所跡 → 弥次喜多像 → 静岡市歴史博物館(鈴木将典氏の講演会)

 

スタート:弥勒緑地

 

安倍川の義夫の碑

「安倍川の義夫」の話は戦前の小学校用の国語教科書や道徳教材に掲載されていたそうです。

碑文 「難に臨まずんば忠臣の志を知らず 財に臨まずんば義士の心を知らず」

~安倍川の義夫の話を聞いて感心した白隠禅師の言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由井正雪墓址碑

 

「安倍川の川会所跡」 説明版

江戸時代、東海道の大きな川には橋をかけることが禁じられていました。旅人は「川越人足」と呼ばれる人夫に頼んで川を渡りました。安倍川は中型の川越えとして知られ、両岸には「川会所」が置かれ、役人が人足を指揮し渡し賃を管理しました。

安倍川の渡し賃は、水の深さによって決められていました。膝までなら16文、股の少し下で18文、股の高さで28文、へその下で46文、へその高さで48文、みぞおちの上で55文、そして胸のあたりまで浸かると64文とされていました。つまり、川の水位が高くなるほど料金も高くなる仕組みだったのです。

※そば1杯が16文=150円ほど。渡し賃は「そば1杯分」とほぼ同じ

 

 

川会所のまわりには、「五文茶屋」が並んでいました。ここではお茶とお餅が出されていて、旅人たちの休憩場所になっていました。

きな粉をたっぷりまぶした「安倍川もち(きんこなもち)」とっても美味しかったそうです。

※五文茶屋は江戸時代の静岡に存在した庶民的な茶屋で、五文(現在の価値で数十円程度)のわずかな代金で茶や軽食を楽しめた場所。

 

新通川越町

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代では前方にうっすらとマンションが見えますが、江戸時代にはそのあたりに天守閣がそびえ立ち、当時の人々の目にはこのような姿が映っていたのかもしれませんね。

↓  ↓  ↓

 

 

安倍川町(二丁町)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本通川越町 → 新通り → 梅屋町 → 人宿町 → 七間町 → 別雷神社

 

  • 本通川越町
    本通9丁目の西にあり、安倍川の川越人足が住んでいたことから名付けられました。江戸時代には町の長さ約80m、戸数66のうち43戸が人足でした。年行事は免除され、火消しだけを担いました。1915年に本通10丁目と改称されました。
  • 毛皮町
    今川氏親が皮革生産を始めた町で、武具に欠かせない資材を作っていました。戦が減ると需要も減り、弓道用の皮や雪駄などを作って生計を立てました。後には芝居や相撲などの興行権も与えられました。町名はのちに白山町となり、現在は駒形通に編入されています。
  • 新通り
    大工が移り住んだことから「新通大工町」とも呼ばれました。三丁目には仏師が住んだことから「仏心小路」という小道がありました。1808年には大火が起こり、城下の約半分が焼失しました。昭和期に町名が再編、新通1~2丁目などになっています。
  • 田尻屋(1753創業)
    わさびの茎を酒かすに漬ける製法を生み出し、駿府の名物となりました。
  • あなごや本店(1863創業)
    利根川・大井川・焼津のうなぎを扱い、かつては能舞台もありました。
  • 梅屋町
    東海道沿いに位置し、旅宿や本陣がありました。梅屋勘兵衛の屋敷が町名の由来です。1651年には由井正雪がここで自害し、歴史的事件「慶安の変」の舞台となりました。
  • 人宿町
    今川時代から旅宿があり、江戸時代には府中宿の一部として大名の宿泊で賑わいました。戦後に1丁目と2丁目に再編されました。
  • 藤右衛門町
    家康にゆかりの藤右衛門が住んでいた町。七間町に直交する道筋の一つで「横七間町」と呼ばれました。
  • 下石町
    穀物商人が住んだ町で、火災や戦災で消滅しました。跡地には日本銀行静岡支店が設けられました。
  • 別雷神社(わけいかづち)
    応神天皇の時代に創建されたと伝わる神社で、安倍の市の守護神とされます。京都・上賀茂神社の分霊社で、今川や徳川家康など武将から信仰されました。

※12月31日から2月15日まで、別雷神社ではフタバアオイやこま犬・獅子を描いた絵馬を授与しています。神社のほか、静岡伊勢丹・松坂屋静岡店・MIRAIEリアンでも販売され、価格は税込1,000円です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下石町 → 矢澤煉瓦蔵 → 明泉寺 → 上石町 → 十返舎一九生家跡 → 不去来庵 → 駿府銀座跡 → 両替町 → 高札場モニュメント → 札ノ辻町

 

矢澤煉瓦蔵

 

 

 

 

十返舎一九生家跡伝承地碑

 

 

両替町一丁目は、江戸時代の大ベストセラー『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九(本名:重田貞一)が生まれたと伝わる場所です。1765年に駿府で生まれた一九は、武士の家に育ちながら筆の道に進み、江戸や大坂で修業を重ねました。やがて滑稽な旅物語『東海道中膝栗毛』を世に送り出すと、爆発的な人気を博し、庶民から武士まで夢中になって読まれる存在となりました。
一九は「原稿料だけで暮らした最初の職業作家」とも言われています。彼の作品は旅の名所や土地の言葉を巧みに取り入れ、地方の人々にも親しまれました。辞世の狂歌「この世をば どりゃお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら」は、ユーモアあふれる彼らしい別れの言葉です。

 

 

 

 

 

 

不去来庵

 

 

高札場モニュメント

 

 

江戸時代は戦がなくなり、平和な時代となりました。武士は刀を振るうのではなく、法令や文書を使って社会の秩序を守ったのです。
百姓や町人にとっても、納税の通知や役所への訴えを理解するために、読み書きや計算の力が必要でした。さらに、商品の売買やお金の貸し借りが広がり、日常生活でも学びが欠かせなくなりました。
そのため、武士は幕府の学問所や藩校、私塾で学び、百姓や町人は寺子屋に通って、子どもの頃から『読み・書き・そろばん』を身につけました。
当時の識字率は七割から八割に達したといわれ、世界でもトップレベルの高さでした。江戸の人々は、学ぶ力によって平和な暮らしと豊かな文化を育んでいったのです。

 

 

 

駿府町奉行所跡 → 弥次喜多像 → 静岡市歴史博物館(鈴木将典氏の講演会)

 

  • 駿府町奉行所跡
    現在の静岡市役所の場所には、江戸時代に駿府町奉行所(大手組)がありました。町奉行は城下の治安や裁判、宿場の管理など幅広い仕事を担い、任務を果たすと大坂や京都の町奉行へ昇進するエリートの登竜門でした。役人は与力や同心、水主などが配置され、町民生活に深く関わっていました。十返舎一九の生家も奉行所同心の家で、この地に通勤していたと伝えられています。
  • 弥次喜多像
    『東海道中膝栗毛』刊行200年を記念して2002年に建立された像です。作者の十返舎一九は駿府両替町出身で、日本最初の職業作家の一人。弥次郎兵衛と喜多八の滑稽な旅物語は大人気となり、安倍川餅やとろろ汁など駿府の名物も登場します。今でも「弥次喜多道中」は楽しい旅の代名詞です。

 

 

途中から雨が降り出しましたが、最後までご参加いただき本当にありがとうございました。
雨のおかげでいつもと違う景色を楽しむことができ、特別なウォークになったと思います。

 

参加された方からも

 

「実際に歩いてみることで距離感など実感でき楽しかったです。初めて知ることも多く、とても面白かったです。」
「静岡の町名は江戸時代から残っているところやなくなった地名他の町名とくっついて名前が変わったりして現在があるんですね。井宮町って駿府96ヶ町にくっついていたか教えて欲しい。今の市政になったばかりは井宮と安西がくっついていたことはあったんですね。」
「普段意識しない新通りをじっくり歩いて、江戸時代以降の川越町や、二丁町、、府中宿についてよく知ることができた。」
「駿府96ヶ町の町名碑を探して歩きたいです。雨の中でも楽しかったです。ありがとうございました。」

 

 

とご感想をいただきました。ありがとうございます。

また次のウォークで皆さまとお会いできるのを楽しみにしております。

ガイドの皆さまも、雨の中お疲れさまでした。