観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ

令和8年3月3日(火)、改修中の静岡浅間神社大拝殿・天井絵の会員向け現場研修会が開催されました。

 

 

静岡浅間神社では、

平成26年(2014)から令和19年(2037)までの予定で

現在漆の塗り直しを中心に、金具を始め部材の修理等、改修工事が行われています。

3月3日(火)午後、生憎の雨の中、駿府ウエイブ会員向けの現場研修会が開催されました。

 

 

 

静岡浅間神社は、南アルプスから続く賎機山の南端にあり、安倍川、藁科川が合流し、静岡平野に出る扇状地の「扇頂」に位置します。

 

神部神社(約2100年前建立)・浅間神社・(約1100年前建立)・大歳御祖神社(約1700年前建立)の三社を総称して、静岡浅間神社と称し、静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されています。

 

3代将軍家光公は、家康公の意志をついて、寛永11年(1634)豪壮華麗な社殿群を寄進されましたが、安永2年(1773)、天明8年(1788)の2度の火災により焼失してしまいました。

 

現在の社殿群は、文化元年(1804)から慶応元年(1865)まで、60年の歳月と約10万両の巨費を投じ徳川幕府が総力をあげ建造しました。

絢爛豪華な建造物26棟が国の重要文化財に指定されており、花鳥霊獣の彫刻類は繊細を極めています。

 

静岡市内に残る数少ない江戸時代の木造建築物群を後世に遺すため、昭和4年(1929)から昭和12年(1937)、昭和49年(1974)から昭和62年(1987)の2回の大規模な修復作業を経て、平成26年(2014)から令和19年(2037)までの予定で、漆の塗り直しを中心に、金具を始め部材の修理等、改修工事が行われています。

 

大歳御祖神社本殿、少彦名神社本殿、神部神社・浅間神社両社の楼門、北回廊、南回廊の改修工事は令和7年(2025)3月に終了しております。 

 

現在改修中の、神部神社・浅間神社両社の大拝殿は、「浅間造り」といわれる楼閣造りで、静岡浅間神社社殿中の代表的な建物して知られています。

 

大拝殿は、文化2年 (1805)から、文化11年(1814)までの10ヶ年をかけて造営されました。

部材は概ね槻(欅の一種)材及び栂材を主体とし高さは漆塗りでは日本一の高さ21m、3層2階建て、外観は総漆塗り極彩色で、蟇股など各所に彫刻及び錺金具が施され、屋根は「本瓦形鋼板葺き黒漆塗り」の建物です。

 

拝殿内は畳132帖が敷かれ、直径50cm強の10本の槻の柱と、直径40cmの22本の側柱が建物を支えている。最中央の2本の柱は、地面に据えられた礎石から最頂部棟まで繋がる通し柱になっています。(途中で継ぎ手があります。)

 

内部装飾は 欄間彫刻の他に、床から6mの高さの天井には十間の鏡天井となっており、そこには幕府直属の狩野派絵師である「狩野栄信」(かのうながのぶ)「狩野寛信」(かのうひろのぶ)の描いた墨絵の龍(2面)、彩色の天人(6面) 、迦陵頻伽(2面)、合計10面が天井絵として飾られています。

 

修復のため、床から6mの高さの天井絵を、外している様子。

 

今回の「平成令和の大改修」に於いて、天井絵が描かれて以来初めて境内において本格的な修理を受けることとなり、取り外されたもので、再度天井絵として元の位置に復されると、近くで見る機会はないものと思われます。今回手の届く近さで拝見できたことはまたとない機会となりました。

 

狩野寛信画「四方睨の龍」(2,700×3,600cm)

 

狩野栄信画「天人」龍笛(2,700cm角)

 

狩野寛信画「迦陵頻伽」小鼓(2,700cm角)

 

栄信と寛信とを比べてみると、栄信は、天人の顔立ちを丸顔に明日香美人風に描き、寛信は、細面にしかもその表情が浮世絵の美人画に似て描いています。 迦陵頻伽は人頭鳥身の姿で、仏教で雪山又は極楽にいるという想像上の鳥です。妙音を発し、聞けども飽きることがないといわれます。龍は、仏教の守護神であると同時に水を司る神としても知られているため、火事から建物を守る意味から天井画に描かれるようになったといわれます。

 

「平成令和の大改修」が完工する予定の令和19年(2037)までには現在改修中の大拝殿に続き、神部神社、浅間神社、八千戈神社、麓山神社各社の本殿と付帯施設の改修が続き、しばらく時間がかかります。

 

大拝殿は一足早く、3年後の令和11年(2029)秋には江戸時代の建造当時の姿に蘇り、竣功の予定となってます。

 

 

過去の見学会の報告はこちら。

令和6年3月の大拝殿見学会の報告はこちらから。

令和2年12月の楼門、北回廊見学会の報告はこちらから。