今川義元(いまがわよしもと) 永正16年(1519)~永禄3年(1560)
今川氏親の五男。長兄・氏輝の没後、花蔵の乱に勝利して家督を継ぐ。「仮名目録追加」を制定し、東海道と太平洋水運で商品流通経済を活性化させ、商人のことは商人に任せる「民活」と金山開発で富国強兵を図り、駿河・遠江・三河三ヵ国の大名となる。都下りの公家を優遇し、王朝風公家文化を花開かせた。
甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と「甲相駿三国同盟」を結び、家督を嫡男・氏真に譲ったのち、尾張に侵攻するが、織田信長の襲撃により桶狭間で討ち死にした。
「今川義元像」臨済寺蔵