令和2年2月23日(日)「谷津山周辺ウォーク」実施報告
令和2年2月23日(日)、今川ゆかりの地を訪ねる駿府ウエイブの企画イベント「谷津山周辺ウォーク」を開催しました。昨日の雨も上がり晴天に恵まれ、91名の参加者(申し込み:102名)が清水山公園に集合しました。駿府ウエイブのガイド9人の各班がそれぞれ順次スタートし、誘導などのスタッフ10人合わせて19名でおもてなしをしました。
清水寺は清水山公園内に隣接しており、古くから「きよみずさん」として知られるお寺。真言宗の道場であった地に、今川8代氏輝の23回忌にあたる永禄2年(1559)、今川義元が命じて寺を建立し、京都の清水寺の景色に似ていたことから、山号寺号とも同じ音羽山清水寺と名付けられたといわれます。
元長寺は清水寺を創建した今川家の重鎮、朝比奈丹波守元長の屋敷があった所と伝わります。元長は今川義元の娘を妻にしており、今川家の人質になっていた家康公の後見人も務めていたそうです。
長源院は今川氏7代氏親の重臣・朝比奈泰以によって、その屋敷地に建立されたと伝わります。朝比奈泰以は、氏親の命に従い駿府舘を修築し駿府城下町を整備したといわれる人物です。
蓮永寺は日蓮上人の6大弟子の一人日持上人によって、弘安6年(1283)庵原郡松野村に創建され、それから300年後の元和元年(1615)家康の側室、お万の方(水戸光圀の祖母)が駿府城の鬼門にあたる現在地に寺を移し、身延山久遠寺第21世日乾(にっかん)を中興開山として創建されました。敷地内にはお万の方供養塔、勝海舟の母・妹墓などがあります。
龍雲寺は今川寿桂尼公の菩提寺です。今川寿桂尼は権大納言・中御門宣胤(ごんだいなごん・なかみかど・のぶたね)の娘で、永正5年(1508)に、今川7代氏親の正室となり、3男4女をもうけました。氏親が脳梗塞で倒れ中風になると、夫に代わり今川家を統率、その規範となる「今川仮名目録」33条を制定しました。氏親が56歳で死去すると、髪をおろし寿桂尼となりましたが、跡を継いだ氏輝がまだ13歳だったため、その後の6年間寿桂尼が実質今川家を統率した女戦国大名でもありました。
愛宕神社は今川氏の時代に山城が築かれた愛宕山城に徳川家康公が鬼門除けとして勧請したと伝わります。愛宕山城は、賎機山城、八幡山城、持舟城、丸子城などとともに駿府を守る城でありました。
ゴール後に沓谷簡易児童館で駿府ウエイブ会員が作成した紙芝居“すごいぞ!今川義元”を洋室・和室の2か所で同時上演しました。会場は満席で立見の方もあり、真剣に集中して約20分間観覧していただきました。
当日は愛宕神社の例祭があり、参加者の一部の方は13時から行われた神事:浦安の舞(今年は東中と横内小の4名が担当)を観覧しました。
今回の参加者は60歳代~70歳代が中心で、半数以上が初めての参加、5回目以上参加のリピーターも目立ち、静岡市内のほか焼津市、藤枝市などからも参加していただきました。
実施後に行なったアンケートでは“もう少しゆっくり歩きたかった”、“施設の説明をもっとしてほしかった”などの意見のほか“地元に住んでいるが知らなかったことが多かった”、“今川氏を深く知ることができた”、“大変勉強になった”などのコメントがありました。また、次の企画ウォークにも半数以上が“ぜひ参加したい”と好意的な回答をいただきました。